「走れよ、メロス」の甘酸っぱい思い出

禁則処理の解決策を探っているうちに、ネットでは2月初めに話題になっていた「走れメロス」の自由研究のニュースが目に止まりました。さる研究所が募集したコンクールの中学生の部で最優秀賞を受賞した「メロスの全力を検証」です(頁末リンク1~2参照)。

太宰治の『走れメロス』は数十年もの間、ほとんどすべての中学生用国語教科書に採用されています。誰でも知っている作品ですからパロディ化されることも多く、Web上でも「…メロス」をネタにしたページは少なくありません。突っ込みどころは各所にあります。

メロスは花嫁衣装などを買うために村から町(作中では「シラクスの市」です)に出かけ、噂で聞いただけの王様の横暴ぶりに激昂して城に乗り込んで捕えられます。友人を身代わりに立てて釈放されたメロスは村に帰り、妹の結婚式を挙げて、また町に戻って来ます。

つまり、メロスはこの作品の中で村と町を1.5往復しているわけです。最優秀賞の中学生の自由研究では、捕えられたあとの1往復が検証の対象になっていますが、中学時代の私が国語の授業中に首を傾げたのは、最初の村→町の行程と村に戻るときとの行程で、あまり時間差がないということでした。

首を傾げたその動作を目ざとい先生に見られて、問い詰められた記憶があります。この国語の先生は実に曲者で、問題を出して考えさせておいて、答えが閃いて教科書から頭を上げると間髪入れずに指名してきます。

これに何度か引っかかると、こちらも用心します。教科書から目を離さずに姿勢を戻すと、今度は「はい、わかった人」と声で誘導されて、少しだけ反応した右肩の動きで指名されるわけです。わかっても姿勢を変えずにいると、「こんな簡単な問題もわからないのか」という挑発が入ります。

掌の上で踊らされることが面白くない年頃です。「ああしろ」と言われればこうして、「こうしろ」と言われればああするわけで、表意が「ああしろ」でも真意が「こうしろ」なら、そうするだけのことです。もちろん、嫌いな先生でもなく、苦手な先生でもありませんでした。「曲者」とは褒め言葉です。

それでは、愛知県の中学2年生が検証の対象としなかった村→町の行程を青空文庫から引用します(頁末リンク3参照)。
きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)のシラクスの市にやって来た。
出発は「未明」です。到着はいつでしょうか。
花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。
いくら竹馬の友とはいえ、これから訪ねるのですから夜の10時ということはないでしょう。買い物を済ませて大通りをぶらついていることから、到着は遅くとも夕方でなければなりません。出発した「未明」を午前2時とし、到着を17時とすれば、15時間かかっていることになります。

10里=40キロとして、時速4キロなら10時間です。このときのメロスは走る必要はありませんでした。江戸から京都までの東海道五十三次は約半月の行程だと言われています。横浜国道事務所のサイトによれば、江戸・京都間は約492キロだそうです(頁末リンク4参照)。492/15で1日当たり32.8キロとなります。

40キロを休憩を挟んで15時間で歩くことは、それほど無理なことではないでしょう。もっと早く着いたのかもしれません。次に、町→村の行程です。愛教大付属中の2年生は季節や緯度にもこだわっていますが、「走れメロス」には次のように記述されています。
 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯(うなずき)、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌(あくる)日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。
愛教大付属中の2年生は、「深夜」と「満天の星」から出発を午前0時、到着を午前10時と仮定しています。中学時代の私はまず午前0時と午前9時で計算したような記憶があります。40/9で平均時速4.4キロです。これでは歩き通したのと変わりはありません。

出発を午前1時、到着は午前8時とすれば所用時間は7時間です。村人は働き者なのです。7時間なら、40/7で時速5.71キロです。いくら「満天の星」とはいえ夜道であり、厳しいアップダウンもあるのでしょうから、こんなところなのかなと私なりに納得したのでした。

太宰が『走れメロス』を書いたのは1940年です。1936年ベルリンオリンピックの男子マラソンでは孫基禎が2時間29分台のタイムで優勝しています。当時のトップランナーの3倍弱なら、おおむね妥当と言える範囲なのかもしれません。

ちなみに私の中学時代、男子マラソンの第一人者はフランク・ショーターでした。さて、中学時代の国語の先生は朗読リレーが終わったあとで私を指名し、何を不思議がっているのかと尋ねました。私は、とっさに次の部分を指摘して、彼の尋問を交わそうとしました。
路行く人を押しのけ、跳(は)ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴(け)とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
これでスルーしてくれるような甘い先生ではありません。「その計算式はなんだ?」ですべて白状することを余儀なくされたという次第です。たしかに、国語の時間に何度も割り算を繰り返す生徒がいたら気になるに違いありませんが…。

この先生は、手を挙げているかどうかにかかわらず、出した問題のレベルに応じて指名していました。まだ出番は早すぎるという表情や態度を読み取ると、次回から順番が遅くなります。それを維持するにはやるしかないのです。露骨にプライドをくすぐってくる先生でした。

なお、『走れメロス』の舞台とされるシチリア島のシラクサの町は、Wikipediaによれば北緯37度05分です。日本ではいわき市、白河市、糸魚川市あたりに相当することになります。また、地中海性気候には夏の少雨という特徴があります。まあ、いくら少雨でも洪水が起こることはあるでしょう。

【外部リンク】
3 青空文庫>走れメロス
4 東海道への誘い>旅について

コメント

  1. 果たして「十里」=39.2kmなのか。嘘「八百」や「八百万」の神のように、単純に「とても長い距離」という意味だと私は思うのですが。

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    1. 自伝的小説とされる『津軽』の冒頭には、金木から五所川原まで「3里」、金木から青森まで「10里」、青森から浅虫まで「3里」、大鰐から弘前まで「3里」との記述があります。当時、青森市篠田にあった工業高校から「7里」の道のりを蟹田まで歩いて夜中の12時に帰ってきた高校生のことも書いてあります。

      「10里」は、成人男性が1日で歩ける(走れる)距離として、さほど不自然な設定ではありません。『津軽』では芭蕉の「前途三千里」も引用している太宰ですから、もし「白髪三千丈」の類なら、「10里」では少なすぎます。

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